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東京地方裁判所 平成6年(合わ)22号 判決

主文

被告人を懲役二〇年に処する。

未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯等)

一  身上経歴

被告人は、千葉県葛飾郡で農業を営んでいた父甲野太郎、母ハルの二男として生まれたが、中耳炎の後遺症のため小学校低学年のころから難聴になり、現在は、左耳は全く聞こえず、右耳は補聴器をつけてようやく良好に音を知覚できる程度の全ろうに近い状態で、身体障害者二級に認定されている。中学校卒業後は、工員、パチンコ店店員等として稼働し、結婚して二男をもうけたものの離婚し、平成三年一月ころから東京都板橋区内の有限会社A製本で製本工として稼働し、最終刑終了後の平成四年八月一〇日ころから同区(番地略)B荘三号室に単身居住して右A製本で再度稼働していた。

二  犯行に至る経緯

1  被告人は、平成六年一月一五日夕方、被告人方に近い同区(番地略)所在のコインランドリー「C店」(以下「C店」という。)前路上で、知り合いの女性乙と出会い、午後六時ころから、同女にサンダルを買ってやったり、同女とともに被告人方付近の居酒屋、ラーメン屋でビールを飲んだりした後、ホテルで同女と性行為をし、その後さらに同女と食堂、ラーメン屋でサワー(焼酎の炭酸水割り)、ビールを飲んだ上、翌一六日午前零時ころ、被告人方付近のスナック「D店」(以下「D店」という。)に立ち寄った。被告人は、乙の氏名も住居も知らなかったものの、同女に好意を抱き、同女と一緒に暮らしたいと思っていたところ、「D店」でビールを飲み始めて間もなく、同女が被告人の相手をせず、他の男性客のところへ行って次々と酒の相手をしたり肩を組んでカラオケで歌うなどしたため、不快の念を募らせ同女を被告人のところへ連れ戻したい衝動に駆られながらもこれを抑えていた。また、被告人は、「D店」の二階にある麻雀店で麻雀をしていた前記A製本の同僚丙のところに顔を出し、そこでも自分で冷蔵庫からビールを出して飲んだが、その際、客を店員と間違えて栓抜きを持って来させたことからその客と口論になり、右丙の仲介で謝罪させられたこともあった。

被告人は、乙と一緒に飲み始めてから、ビール大瓶二本くらい、同中瓶六本半くらい、サワーコップ一杯くらいを飲んでかなり酩酊し、同日午前二時三〇分ころ、同女をタクシーで送り名前と住所を聞こうと思って同女と一緒に「D店」を出たが、被告人が気の付かないうちに同女がいなくなってしまった。被告人は、しばらく乙を探したものの見付からず、同女に逃げられたとの思いから、同女にばかにされたと感じ、同女に対する憎しみを抱くとともに、不快の念をますます募らせていった。

2  被告人は、このようなむしゃくしゃした不快の念を持ちながら中山道を南に向かったが、途中たばこを吸うためライターをつけた際、その火を見て放火したいとの強い気持ちが生じ、以前放火したことのある同区(番地略)所在のパチンコ店「E店」(以下「E店」という。)従業員寮付近を通りかかったとき、平成五年一一月ころその従業員が被告人の悪口を言っていたことを思い出し、右従業員寮に放火して当日のむしゃくしゃした不快な気分を晴らしたいとの思いがますます強くなった。被告人は、右従業員寮に放火すべくライターを探したが、二〇分ほど前に同区(番地略)Kビル一階所在のコンビニエンスストア「ローソンS店」で購入したばかりのライターを見付けられず、同日午前三時二四分ころ再度右「ローソンS店」でライター一個を購入して再び「E店」従業員寮前に至り、その場にあったビニールシートに火をつけた。これにより放火の欲動は更に強くなり、被告人は、以後、前記B荘に帰るまでの間に、判示第一の犯行、同区(番地略)所在の空き家の門の中にあったごみへの放火、同区(番地略)先路上に置いてあった屋台への放火、判示第二の犯行と連続して放火に及んだ。なお、判示第一及び第二の各犯行以外は、自然鎮火又は付近住民の消火により建造物の焼燬には至らなかった。

(罪となるべき事実)

第一  被告人は、「E店」従業員寮前でビニールシートに放火した後も依然として前記のむしゃくしゃした不快な気分が治まらず、かえって放火の欲動が強くなり、帰宅途中、平成六年一月一六日午前三時四〇分ころ、東京都板橋区(番地略)所在のXが現に住居に使用している木造瓦葺二階建共同住宅兼店舗(延床面積約二〇七平方メートル)「F荘」付近に至った際、右「F荘」に居住していたフィリピン人からその友人のフィリピン人からビデオテープを盗まれそうになったことを思い出し、右「F荘」に放火して当日のむしゃくしゃした不快な気分を晴らしたいと思い、開放されていた出入口から右「F荘」一階玄関内に入り、郵便受けに入っていた広告紙を取り出して所携のライターで火をつけた上、これを玄関北側階段下のマットレス様のものの上に置いて火を放ち、その火を付近の板壁等に燃え移らせ、よって、右「F荘」を半焼させてこれを焼燬した。

第二  被告人は、前記のように各所に放火したものの、なおも不快な気分が治まらず、同日午前四時ころ、同区(番地略)所在の Y1及びその家族が現に住居に使用している木造瓦葺二階建居宅兼店舗(延床面積約二一〇・九九平方メートル)付近に至った際、同建物一階北側のスナック「G店」及び同南側の「C店」を経営する Y2に対し不快の念を抱いていたことが想起され、同建物に放火して、むしゃくしゃした不快な気分を晴らしたいと思い、「C店」に出入口のシャッターを開けて入り、くずかご代わりのバケツの中からビニール袋を取り出して所携のライターで火をつけた上、これを建物板壁近くの発泡スチロール製の箱に入ったもみ殼の上に置いて火を放ち、その火を付近の板壁等に燃え移らせ、よって、同建物及びこれに隣接する同区(番地略)所在のZ及びその家族が現に住居に使用する木造瓦葺二階建居宅兼店舗(延床面積約一二七・二一平方メートル)をそれぞれ全焼させてこれらを焼燬した。

なお、被告人は、本件各犯行時、精神薄弱に飲酒による酩酊が加わったことにより心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の票目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

第一  弁護人の主張

弁護人は、次のとおり主張する。

一  被告人の認識

1 判示第一の事実(以下「『F荘』事件」という。)については、被告人は玄関内の南側壁に設置されてあった木製郵便受けの中にあった広告紙に点火し、それを右郵便受けの中に入れただけで、建物が焼燬することの認識はなかった。

2 判示第二の事実(以下「『C店』事件」という。)については、被告人は「C店」店舗内でビニール袋様のものに点火したが、その火によって付近の可燃物が燃え、更には建物そのものが焼燬するとの認識及びその建物に人が住んでいることの認識(以下「現住性の認識」という。)をそれぞれ欠いていた。

二  心神耗弱

被告人は、本件各犯行時、幼児期からの難聴及びこれを主因にした精神薄弱に加え、異常酩酊若しくはこれに近い強度の酩酊のため、是非弁別能力又は行動制御能力が著しく減退し、心神耗弱の状態にあった。

第二  当裁判所の判断

一  「F荘」事件に関する被告人の認識について

1 被告人は、捜査段階では、当初は、判示郵便受けから取った広告紙に火をつけ、それを投げ捨てたと供述していたものの、その後は火をつけた右広告紙を判示階段下のマットレスの上に置いた旨供述していたのに対し、公判廷においては、これを右郵便受けの上に置いた(右郵便受けの中に入れた、あるいはどうしたか覚えていないとも供述している。)旨供述している。

2 ところで、実況見分調書(証拠番号略)等によれば、焼燬の程度が最も激しいところは玄関北側の階段付近であり、二階の床が抜け落ちているところも右階段の上方に当たる部分であるのに対し、玄関南側の壁に設置されてあった前記郵便受けの上方の二階床部分は抜け落ちていないことが認められる。右事実に照らすと、右階段下付近が出火場所であることが明白であって、火をつけた広告紙を右郵便受けの上に置いたとか郵便受けの中に入れたとの被告人の公判廷における供述は到底信用できない。

また、「F荘」を管理している丁の供述(証拠番号略)によれば、階段の下付近には、雑誌、車の座席シート等いろいろなものが置いてあったとのことであり、また、平成五年一二月末まで「F荘」に住んでいた戊の供述(証拠番号略)によれば階段下付近に布団等が置いてあったとのことであって、燃え残っていないためマットレスかどうかははっきりしないものの、右階段下付近にマットレスと認識する可能性のあるものがあったと認められる。

そうすると、点火した広告紙を右階段下のマットレスの上に置いた旨の被告人の捜査段階の供述はおおむね信用でき、判示のとおり認定するのが相当である。

3 そして、右のような放火箇所及び放火方法に照らし、被告人には建物を焼燬することの認識もあったものと認められる。

二  「C店」事件に関する被告人の認識について

1(一) 放火方法について、被告人は、公判廷においてはビニール袋を使って火をつけたことしか記憶していないと供述するが、捜査段階においては、入口から入って左側に自転車、もみ殼の入った発泡スチロール製の箱、その他いろいろなものがあり、洗濯機の下にあった青いバケツの中に入っていた買い物などに使う白っぽいナイロンの袋を細長く伸ばしてライターで火をつけ、これを右自転車の下方から手を伸ばして右もみ殼の上に置いた旨供述している。

(二) 本件犯行当日「C店」にもみ殼があったことは、本件犯行前日に「C店」を利用した者の供述(証拠番号略)や、Y方にもみ殼を詰めた長芋を送った者の供述(証拠番号略)等で裏付けられており、放火場所についても、被告人の捜査段階における右供述は、火災の目撃供述(証拠番号略)によれば、「C店」の向かって左手の辺りが出火場所と認められることと符合していること、もみ殼を媒介物とした旨の右供述は具体的かつ特異なものであり、捜査官の誘導によるものとは考えにくいことにかんがみると、放火方法に関する被告人の捜査段階の右供述は、被告人の記憶に基づく信用性の高いものと認められ、右の点については判示のとおり認定するのが相当である。

(三) そして、右のような放火箇所及び放火方法、右物品が周囲の板壁に近接して置かれていたことに照らすと、被告人には建物を焼燬することの認識もあったものと認められる。

2 次に、Y方居宅兼店舗は一階南側が Y2らが経営する「C店」、同北側が同じく同人らが経営する「G店」、二階が同人ら家族の住居となっているところ、同建物の火災前の写真(証拠番号略)等によれば、「C店」と「G店」が一体であること、「C店」の入口のすぐ左にはY方に入る一般家屋用の引戸があること、同建物が二階建であり右二階部分が通常の民家の様式となっていることは、外見から明らかである。そして、被告人が「C店」を普段から利用しており、「G店」にも、数回行ったことがあることを併せ考えれば、「C店」と「G店」(捜査段階では、被告人は時に「 G’店」と供述している。)が密着しており、「C店」も「G店」のママ(Y2)が経営していると思っていた旨、及び同人の家族は二階で生活していると思う旨の捜査段階における被告人の供述は十分信用でき、現住性の認識にも欠けるところはない。

三  責任能力について

1 被告人の精神障害の程度

鑑定人高橋紳吾の鑑定(以下「高橋鑑定」という。)によれば、被告人は、WAIS-R成人知能検査総合知能指数五二であり、犯行当時も現在も軽愚に属する精神薄弱者である(鑑定主文1)とされているが、精神病の疑いはないほか、定職を有し、結婚歴も有していて、それなりに日常生活を送っており、勤務先のA製本の上司、同僚らの供述からも、ある程度の社会性を備えていると認めることができる。

したがって、被告人の知能指数が低いのは、高橋鑑定も指摘するとおり、判示小学校低学年のころからの難聴による学習の遅れによるところが大きいものと認められ、それ自体としては、生活に著しい障害を来すほどのものではなく、是非善悪の判断に著しく支障を来すものでもないと考えられる。ただし、右難聴により家庭及び学校で適切な教育を受けることができず、また、周囲の者との意思疎通を欠くことも少なくなかったため、高橋鑑定の指摘する「衝動的で自己中心的、未熟で短絡的という面を持ち、そのため葛藤場面において耐性がな(い)」人格傾向を有するに至っている。

2 犯行時の酩酊の程度

(一) 被告人は、判示のとおり、本件各犯行前日の午後六時ころから本件各犯行時までにビール大瓶二本くらい、同中瓶六本半くらい、サワーコップ一杯くらいを飲んでおり、「ローソンS店」の店員の供述によれば、犯行直前被告人が同店で二度目にライターを購入した際には、被告人はふらついていて倒れそうになるのを支える必要があるほどであった(証拠番号略)。ところで、鑑定の際に行われた飲酒試験の結果によれば、ビール大瓶二本、同五〇〇ミリリットル缶三本、アルコール度数八パーセントの酎ハイ(焼酎の炭酸水割り)二五〇ミリリットルを飲ませたところ、飲酒開始から約三時間後、飲酒終了から一時間弱後に血中アルコール濃度が血液一デシリットル当たり三〇〇ミリグラム弱(最高値)に達したと推定され、そのころには、被告人は、採血のために近付くと暴れたり、まともに歩けなくなったりし、いわゆる泥酔の状態になったというのである。右飲酒試験の際と比較すると、本件各犯行当日の方が長時間かけて飲酒しているが、他方飲酒量は本件各犯行当日の方がやや多く、「ローソンS店」店員の右目撃状況、直前に購入したライターが見当たらず、短時間に再度購入していること、「D店」を出てからの経過時間等に照らすと、本件各犯行時も、飲酒試験時の最高値時点ほどではないもののそのときに近い状態にあったものと認められる。

被告人は、公判廷においては、本件各犯行及びその前後の状況の多くについて記憶がないと供述し、あるいは客観的に認められる事実と異なる供述をしているが、捜査段階における供述には、部分的に経過時間に比しその間の行動に関する供述が抽象的であるなど記憶の欠落をうかがわせるところもあるものの、前記二1(二)のとおりその供述は捜査官の誘導を考えにくい特異なものが含まれていること、その供述内容が具体的で、各犯行再現状況及びその際の被告人の指示説明(証拠番号略)からも各犯行状況をおおむね記憶していることがうかがわれること、取調官においても、被告人に対し記憶がないことは記憶がないと供述するように注意し、理解させた上で供述を得ていること、捜査の初期の段階から弁護人が付き、同様の助言を得ていることなどに照らすと、被告人の捜査段階における供述及び各犯行再現は記憶に基づいてなされたものと認められる。そして、右供述及び犯行再現の内容、更に、被告人は判示第二の犯行直後犯行現場付近に戻って火災の状況を見ていること(己の証言)、犯行後本件各犯行時に着用していたジャンパーを捨てるという証拠隠滅工作をしていることを併せ考えると、本件各犯行当時被告人の意識はほぼ清明であったと認められ、当時の被告人の酔いの程度を単純酩酊であったとする高橋鑑定は合理的である。

3 犯行の動機

(一) 被告人は、捜査段階において、「F荘」及び「C店」に放火した理由として、判示のとおりむしゃくしゃした不快な気持ちから火をつけたくなったことのほか、「F荘」事件についてはかつてそこに住んでいたフィリピン人かその友人のフィリピン人が被告人のビデオテープを盗もうとしてけんかになったことを思い出し、憎たらしくなったことを挙げ、「C店」事件については、初めて「G店」へ飲みに行った際同僚と殴り合いのけんかになり、以後ママ(Y2)が被告人に対しいい顔をせず、被告人があいさつしても返事をしないなどのいやなことが頭に浮かんだことを挙げている。しかし、右のような「F荘」や「C店」ないし「G店」についての不快な出来事は、各放火行為の主な動機としては飛躍があって、これをもって合理的な動機とはいい難く、右の点は放火の対象を選ぶ契機となったにとどまり、本件各犯行は基本的には当日の不快な気分による放火欲動に基づくものと考えるのが合理的である。

ところで、前記鑑定書によれば、飲酒開始から二時間二五分後に、高橋鑑定人が灰皿の上でティッシュペーパーに火をつけて見せたところ、被告人はこれを見て「ワーッ」と奇声を発し、拍手をして喜色満面となった後、すぐに掌でそれを叩いて消し、頭を抱えて大声で「ワーワー」「H警察」などと叫び、頭を抱えたまま体をのけぞらせ、転倒して床を転げ回るなどし、飲酒試験も中止せざるを得なくなったとのことである。高橋鑑定人が後日通常時に紙を燃やして見せたときには各別の反応がなかったとのことであり、右飲酒試験の結果等によれば、高橋鑑定人の指摘するとおり、被告人は、酩酊時には、単純酩酊であっても、もともと有している火に対する特殊な感覚ないし感情が亢進し、火によって強い快の感情が引き起こされるものと推認される。

(二) 被告人は、本件各犯行直前、判示のとおり、乙にばかにされたとして同女に対する憎しみの念を抱くとともにむしゃくしゃした不快な気分が高じ、酩酊下にライターの火を見ることで火に対する特殊な感情が呼び覚まされ、強い放火欲動が生ずるとともに、精神薄弱のためもともと行動制御能力がやや劣っていたことに加え、単純酩酊とはいえかなり高度の酩酊のため抑制がきかなくなって、葛藤処理のためにこれまでしばしば行われた放火行為がパターン行動としてよみがえったものと推認される。そして、このようにして「E店」従業員寮でビニールシートに放火するに至り、このことが更に放火の快感を呼び覚まして一層の放火欲動が募り、本件各犯行を含むその後の一連の放火行為に出たものと認めるのが合理的である。

4 責任能力の判断

以上の検討によれば、被告人の精神障害及び本件各犯行時の酩酊の程度は、個々的には責任能力の著しい減退をもたらすものとはいえないが、被告人には、酩酊時に火に対する特殊な感覚ないし感情が亢進するという特徴がある。高橋鑑定人は、当公判廷において、被告人はかなりの程度行動制御能力が劣っていたと思われるが、それが著しいといえるかどうかは判断できなかった旨供述しているが、被告人の右特徴が病的なものとはいえないものの、本件各犯行が単なるうっ憤晴らしではなく、右のような特殊な感情によって呼び覚まされた強い放火欲動に基づくものと認められること、他方、精神薄弱のためもともと行動制御能力が低い上、本件各犯行時はかなり高度の酩酊により右能力が一層低下していたと推認されることを併せ考えると、本件各犯行時、被告人が是非弁別能力が著しく減退した状態にはなかったとしても、行動制御能力についてもこれが著しく減退した状態になかったとまでは断定し難い。

よって、被告人は、本件各犯行時、心神耗弱の状態にあったものと認めるのが相当である。

(累犯前科)

被告人は、(1)平成元年一一月二一日東京地方裁判所で窃盗罪及び器物損壊罪により懲役一年二月に処せられ、平成二年一二月二二日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した傷害罪により平成三年九月六日同地方裁判所で懲役一年に処せられ、平成四年八月六日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は検察事務官作成の前科調書及び(2)に係る判決書謄本によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一及び第二の各所為はいずれも平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文により同法による改正前の刑法一〇八条に該当するところ、各所定刑中判示第一の罪については有期懲役刑を、判示第二の罪については無期懲役刑をそれぞれ選択し、前記の各前科があるので同法五九条、五六条一項、五七条により判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で三犯の加重をし、判示各罪は心神耗弱者の行為であるから、判示第一の罪については同法三九条二項、六八条三号により、判示第二の罪については同法三九条二項、六八条二号によりそれぞれ法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二〇年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は、飲酒酩酊の上、知り合いの女性に冷たくされたことをきっかけに生じた不快な気分を晴らすため、酩酊時に亢進する被告人自身の火に対する特殊な感情もあって、連続して放火を敢行し、判示第一の犯行により共同住宅兼店舗一棟を半焼させ、判示第二の犯行により居宅兼店舗二棟を全焼させたという事案である。本件各犯行は深夜住宅密集地において敢行された危険極まりないものであり、現に判示第二の犯行により、就寝中だった Y3、 Y2、 Y4、 Y5、 Y6、の五名もの貴い命が失われるという極めて無残な結果が発生している。焼死した五名の苦しみや無念さはもとより、二階の窓から飛び降りて辛うじて一命をとりとめた Y1、 Y7もまた、一時に五名の家族を失うとともに自らも受傷し、焼け出されたもので、その悲嘆、困惑の心情は誠に察するに余りあるものがある。建物及び動産の損害もまた甚大で、判示第二の犯行による類焼建物五棟分を含めると、合計約一億五〇〇〇万円以上に上っている。さらに、本件各犯行が多数の付近住民に与えた恐怖や衝撃も大きい。加えて、各犯行の態様も建物内に入り込んで放火するという悪質なものであり、その動機も短絡的かつ甚だ身勝手なものというほかない。その他、右のような被害に対し何ら慰謝の措置は講じられておらず、これからも講じられる可能性は少ないこと、被告人には放火の常習性が認められ、再犯のおそれも否定できないこと、被告人はこれまで強盗致傷等の罪で四回懲役刑に処せられ、服役していることなどを併せ考慮すると、判示のとおり本件各犯行が心神耗弱の状態で行われたものであることを前提としても、被告人の刑事責任は誠に重大である。

そこで、本件各犯行時被告人は心神耗弱の状態にあったことのほか、被告人は小児期に難聴になり、適切な教育を受けることができなかったため精神発達遅滞に陥ったもので、その成育過程には同情すべき面があることなど被告人のためしん酌すべき諸情状をも十分考慮した上、主文掲記の刑を量定した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金谷暁 裁判官 若園敦雄 裁判官 佐藤晋一郎)

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